
「掬水月在手」慈悲の光は誰にでも注がれる。
『掬水手在月』
“MIZU WO KIKUSUREBA TSUKI TENI ARI”
月の光は地上のすべてのものに平等に注がれています。
あなたや誰かが無視されることもない。
月のひかりは仏の慈悲であり、仏法そのものであるのです。
自分とはかけ離れた、
遠くにある美しい物として月を見ているだけではそれに気づくことはできません。
「水を掬する(手ですくう)」
という、あなた自身の働きがけ(禅においては修行)
があって初めて、月はあなたに入り、自分のものとして
感じることができるのです。
<禅の心より>
雪裡梅花只一枝(禅の言葉)
『雪裡梅花只一枝』
“SETSURI NO BAIKA TADAISSHI”
<今はどこも茨だらけだが、春風が吹けば梅の花が一斉に咲き乱れるだろう。>
苦難に耐えてこそ真実を掴むことができる。
冬の厳しさに耐えてこそ、梅は香しい花を咲かせます。
私たちにとっては、苦労を重ねて達成したり実現したことが
「雪裡の梅花」
でしょう。そこにはかけがえのない価値があり、確かな真実があるのです。
<禅の言葉より>
コロナ禍の中
自暴自棄になってしまいそうな精神状態で、不安な日常を過ごしている今日現在。
近い将来の「社会の復興」を期待し目標として日々努力することを糧に、
今の辛い経験も貴重な真実の価値として語れるように生きていく。
このままでは終われない!
百花春至為誰開(禅の言葉)より
『百花春至為誰開』
Hyakka haruniitatte tagatamenika hiraku.
与えられた命をただ無心に生きる
命のまま精一杯に咲く花は、
不平不満やちっぽけな「はからい」に惑わされず、
無心に生きることの尊さを教えてくれます。
<ふっと心がかるくなる禅の言葉より>
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人それぞれの人生を生き抜くということかなぁ
他人の生活を羨ましく思っても他人にはなれないし。